歴史系ジョークブログ(仮)

名前のまま歴史系ジョークを主に掲載するブログ。気まぐれ更新。

アメリカンジョークin戦国

Q松永弾正と荒木村重明智光秀が戦場で敵に包囲された。助かったのは誰か。

A 信長。

 

アメリカンジョークin戦国時代

 

とある寺院に、嘘偽りを述べると即座に天罰を下すという仏像があった。

真田幸村が前に立ち述べた。

「私は常に願っている。この国から戦乱が無くなればいいのに・・・と」

その瞬間、幸村は雷に撃たれ絶命した。

大久保長安が前に出て述べた。

「私は常に思っている。質素倹約こそ武士の本来の姿だと」

その瞬間、長安は雷に撃たれ絶命した。

佐久間信盛が前に立ち述べた。

「私は常に努力している」

その瞬間、信盛は雷に撃たれ絶命した。

 

戦国武将たちが乗っているとある船が沈没しそうになった。

救命ボートには数限りがあり、何人かは海に落ちなければならない。

そこで、船長は一計を計らった。

信長には「この海には昔からヌシが住んでいます。だから奉公が出来ません」

信長は海に飛び込んだ。

家康には「海で泳ぐというのは何よりも健康にようございますぞ」

家康は海に飛び込んだ。

光秀には「波の底にも都の候うことなど、教養人の光秀様には常識ですかな」

光秀は海に飛び込んだ。

義弘(島津)には「薩摩隼人の勇猛を以てして、どうして海を恐れましょうか」

義弘は海に飛び込んだ。

政宗には「海は随分と貴方様を恐れさせているようですな」

政宗は海に飛び込んだ。

秀家(宇喜多)は無言で海に飛び込み、泳いで陸地に帰った。

 

大阪で大地震が起こった際、危機一髪太閤秀吉の身を守ったのは謹慎中の加藤清正だった。この話は、広く諸国での語り草になった。

尾張では「謹慎中の咎を恐れず真っ先に太閤殿下の救出に向かうとは、清正殿の律儀は日の本一じゃな」

美濃では「清正殿の律儀もさることながら、何と言っても太閤殿下の御身が無事だったことこそ、不幸中の幸い」

江戸では「聞いたかね、太閤殿下が大阪城で死にかけたらしいぞえ」

 

羽柴秀吉丹羽長秀明智光秀の三人は、ふとしたことで信長の怒りを買ってしまった。そこで彼等は、名誉挽回の為に精一杯の努力をした。

一月後、秀吉が信長に報告する。

「敵国は十中八まで調略により当家の御味方。更に優秀な人材を何人か見つけたので殿に推挙いたしまする」

時を同じくして長秀からも報告が入る。

「かねてからの御課題だった洛中の治安、設備は完璧に整いました。更に行政制度の改革により収入の倍化に成功」

更に光秀からも報告が。

「南蛮渡来の新式種子島三千丁の入手に成功。それに合わせて鉄砲隊の訓練も完了、いつでも実戦にだせまする」

この三つの報告を聞き、信長はしばらく考え、そして結論をだした。

「やはり光秀は気に食わん。領地召し上げして筑前の下につかせろ」

 

Q  この国には、酒池肉林、おまけに多くの美女が集まり、しかもそれらを愉しむことに関して何の努力もいらないという理想郷がある。それはどこか。

比叡山延暦寺

 

信長「近頃、信濃の武田家が我が領民を徴兵しているそうだ。権六、なにか対策はあるか」

勝家「目には目をということで、信濃国の領民を徴兵してはどうでしょう」

信長は苦り切った顔でこう答えた

信長「阿呆。敵国の領民を喜ばせてどうするか」

 

織田信長北条氏政、島津龍伯が、極楽浄土について議論していた。信長が、

「極楽浄土は清浄な世界だという。衛生面では我が領内が圧勝だな」

と勝ち誇ると、氏政が笑いながら

「極楽浄土には苦痛の類が無いというぞ。年貢が軽い我が領内こそふさわしい」

といった。龍伯は終始微笑みながらこの会話を聞いていたが、ここにきて一言。

「諸君らは何か勘違いをしているのではないか。清浄とも言い、苦痛が無いとは言ってもゼロではあるまい。極楽浄土とは程遠いよ」

勿論、それを聞いた二人は憤慨して、「じゃあ貴公の領内ではそれが実行されているのか」と詰った。龍伯は笑みを絶やさず、

「無論。我が領地薩摩では街の不浄も賦役の苦痛も誰一人として訴える者はおらん」

 

齋藤道三から茶会に誘われたんだ」

「まじか。断った方がいいぞ」

「それが宇喜多直家からも誘いがきてるんだ」

「それもやめた方がいいぞ」

「しかも松永弾正からも誘われてるんだ」

「貴方様は何時からこのような身分におなりになったのです?」

 

戦国時代発禁書物一覧

・「親孝行」齋藤義龍著、武田信玄入道編集

・「忠義忠節とはなにか」明智光秀

・「乱世に活きる教養」羽柴秀吉

・「要領よく生きる者、天下を制す」浅井長政、久政親子共同編集

・「三皇五帝に学ぶ、民の為の政」島津龍伯著

・「合従戦術ー同盟国と上手く付き合う百の方法」伊達政宗

・「100まで生きる」竹中半兵衛

 

羽柴秀吉明智光秀が辺境の地の慰撫に向かった。しばらくして、光秀から書簡が。

「この国の住民たちは皆信長様の名を知りません。絶望的です」

時同じくして秀吉からも書簡が。

「この国の住民たちは皆信長様の名を知りません。好機です」