歴史系ジョークブログ(仮)

名前のまま歴史系ジョークを主に掲載するブログ。気まぐれ更新。

アメリカンジョークin日本史

地獄にて

平将門「最近現世で「愚管抄」なるものが広まっているんだが」

藤原純友「何々・・・「保元以来ノ事ハ皆乱世ニテ・・・」と」

平将門「俺ら許されたらしいぞ」

源義親「良かった良かった」

琵琶法師「許してないぞ」

 

富士川合戦の際の記録。

「関東武者は親が死ねばその屍を踏み越え前進し・・・」

そんな蛮行が今日日受け入れられないのは当然。ここでも一人憤る人が・・・

「子は親を敬い、親は子を愛す。それ人類普遍の原理ぞ。全く、関東武者なる者は

   畜生の集まりじゃな。我らはさもあらぬよう政策を練らなければ」

誰ぞあらん。源氏の末裔、徳川将軍家五代将軍綱吉その人である。

 

室町将軍家の一族が死後地獄で再会を果たした。三代将軍、義満が言う。

「全く、あれほど私がほぼ崩壊していた幕府権力を固めてやったというのに。よくとまあ数代で更に崩壊させてくれたものよ」

それを聞くと何をといわんばかりに四代将軍義持が、

「父上が権力を手に入れれたのは中華との朝貢貿易のおかげでしょう。大国に尻尾を振って手に入れた権力など、私は要りませぬ」と猛反発。

それに対し「つまらない拘りだ」と憤る六代義教や「文化の発展で競いましょう」と

話を変えようとする八代将軍義政など、収拾がつかない事態になってきた。

しかしそれは一瞬で静まりかえった。十五代将軍、義輝の哄笑によってである

「皆さん、誰が一番優れているかという話であれば、私に決まってるじゃあありませんか」

「それは妙な事を。お主、周囲の群雄に手も足も出せず最後には殺されたではないか」

「最早何処にもありはしない幕府をどう存続させたかなんてどうでもいいことですよ。事実として、私はここにいる人間全員を相手取っても皆殺しにできます」

 

ある日、源頼朝の枕元に阿弥陀如来が立っていた。頼朝は如来に尋ねる。

如来様、私の創った鎌倉幕府は後世まで続くでしょうか」

「永劫・・・とまでは言わねど百五十年程は続くであろう」

それを聞いた頼朝は喜びを露わに

「ということは、私の子孫たちは十代目くらいまでは天下人でいられるのですね」

「いやいや、十代と言わずこの国の「天下人」と呼ばれる輩は以後五百年程お主らの末裔と称すぞ」

 

とある朱子学者が息子に朱子学を教えていた。

「いいかい、「上下の差別アルゴトク、人にも又君はタフトク、臣ハイヤシキ・・・」つまり、空と陸に格差があるのと同じで、支配者と人民にも格の差があるんだよ」

息子はこれを聞いてしばらく納得出来ないような顔をしていたが、パッと顔を上げて

「なるほど。確かに陸が色々な物を乗っけて苦労してても空は無関心ですもんね!」

 

 中華には隋以来「科挙」という登用試験制度があり、科挙にて最高成績を収めた者は

「日月を思いのままにする」程といわれているそうな。

とある青年がその快挙を成し遂げ故郷に帰ってきた。勿論、周囲から称賛の声は止まない。しかし、彼は常に謙遜していた。

「全く、天才様ってのは性格もいいもんだ。あんなに出来るのに謙遜して」

それを聞くとその青年は笑って「いや、本当に大したことでもないのです」といい、

「日月を動かすくらいのことは倭国の歌詠みにでも出来ますから」

 

後醍醐天皇隠岐に配流された。彼は一屋敷を与えられたが、その周りは見るに汚い

沼地に囲まれており、到底人の住めるところではなかった。後醍醐天皇は当然怒った。

「いくら配流の身でも貴人に対する扱いがあろう。無礼ぞ」

それを聞くと監視の責任者は驚いたような顔をした。「いや、我らもあなたほどの貴人を迎えるのに相当な下調べをし、それ相応の扱いをしようとしたんです」と言って

「何でも貴方様程になると一面の沼地も都になるとか。それで敢えて御威光を見せて貰おうかと・・・」