歴史系ジョークブログ(仮)

名前のまま歴史系ジョークを主に掲載するブログ。気まぐれ更新。

アメリカンジョークin日本史2

Q  日本史上、最も多くの人間を欺いた文書は? 

A   御堂関白記

 

「おや、あれは。新田義貞様が浮かない顔を」

「恐らく戦に負けたのでしょう。それもあの落ち込みよう。自分の首も危ないほどの大敗と見られますな」

「ではあちらで落ち込んでおられる足利尊氏様は」

「恐らく戦に勝ったのでしょう。それもあの落ち込みよう。敵将の首を取るほどの大勝と見られますな」

 

ある日、道鏡の枕元に鬼が現れ、願いを好きな時に三つ叶えてあげると告げられた。早速一つ目の願いを言った。

「帝の寵愛が欲しい」

その願いは実現し、彼は帝から「法王」の位を授かる程の寵愛を得た。彼は満足したが、しばらくするとこの権力にも物足りなさを感じた。二つ目の願いを言う。

「いっそのこと私を帝にしてくれ」

その願いは実現し、宇佐八幡宮から「道鏡を帝に」との神託があったと告げられた。彼はこれ以上ない程の権力に満足した。後はこの地位を安定させることだ。三つ目の願いを言う。

「この国から不義・不忠の輩を排除してくれ」

その願いは実現し、彼は失脚した。

 

徳川慶喜は優秀だった。彼が十年早く生まれていれば徳川将軍家は存続していたかもしれない。

伊達政宗は優秀だった。彼が十年早く生まれていれば仙台伊達家は存在しなかったかもしれない。

 

黒田官兵衛豊臣秀吉が播磨を視察中、官兵衛の旧主、小寺政職を見かけた。秀吉は彼が質素な身なりをしているのを見て、官兵衛に言った。

「もしお主が小寺殿に仕えたままであったならば、今のように大量の従者を引き連れて行動することなど出来なかったであろうな」

「はい。私も殿も時代の波に飲み込まれていたでしょう」

 

関ヶ原の戦い前、想像以上に多くの大名が西軍に加勢するのを見た家康は、西軍の諸大名にむけて手紙を送った。

「もしも貴公たちが西軍につくというのならば、私がかつての今川殿や太閤殿下に行ったことを、貴公らにも実行しなければならないだろう」

これを見た諸大名は震えあがり、ある者は東軍に鞍替えし、ある者は戦いの中で寝返った。そして戦いが家康率いる東軍の圧勝で幕を閉じた後、手紙をもらった大名の一人、小早川秀秋は家康に尋ねた。

「家康殿、もし我らが寝返らなければ、何を行うつもりだったのですか?」

「降伏じゃ」

 

「海国兵談」が発禁処分を受けた林子平。幕府に抗議に向かい、老中松平定信と議論を行っていた。議論の中で、子平の学識の高さに感心した定信は、一つ質問をしてみることにした。

「先生よ。「不幸」と「災難」の違いとは何であろうか」

「不幸とは、天下の現状が見えない支配者。こうした支配者によって災いを受ける憂国の士こそ災難ですな」