歴史系ジョークブログ(仮)

名前のまま歴史系ジョークを主に掲載するブログ。気まぐれ更新。

替え歌歴史シリーズ1

多分こんなことばっか考えてるから追試食らったんだ

替え歌歴史シリーズ

 

「irony」

こんな厳しくしないで  どんだけ耐えればいいの?

積み重ねた権威で  見えないよ民の憂い顔

 

いつだっけ  無くなった権威を戻そうとして

反田沼  そればっかに意地はって  疲れちゃう

ほんの  少し違う  声届かない

ちゃんと  聞いて欲しいな  民のその声

そんな厳しくしないで  ほらまた住みにくくなって

住みかねた  魚は元の濁り恋しがってる

そんな銀使わないで  どんな代え作ればいいの?

批判ばっかだけれど七分銀  排せないのかな

 

いくつの  学を君は禁じてきたんだろう

それでも  手にした実利は少なすぎるね

ほんの  少し近く  かつての悪政

ちゃんと掴みたいのかな  役人の手綱

そんな厳しくしないで  ほらまた住みにくくなって

積み重ねた禁令で動けないよ  江戸の経済

本当の経費約して  積み立てる七分積み金

ゆっくりと溜まっていく  基金で  救荒任せて

 

朝廷(みかど)の事など分からないし  かつて先例あった気もするけど

ぶつかる帝を少し抑えて  尊号の件  断固で拒否るよ

 

そんな厳しくしないで  ほらまた住みにくくなって

積み重ねた失策は  もう辛いだけだからね?

すぐに辞任したけれど  遺臣は減ることないし

最後の1ページまで  幕府の  指針たりたい  

 

解説(wiki参照)

松平定信公がモチーフの替え歌。彼の主導した寛政の改革は、各種倹約令に代表される経済政策と、寛政異学の禁をはじめとした朱子学以外の学問の廃除政策の二つが代表的です。その直前の老中が「あの」田沼だったため、定信自身も「反田沼」を意識しており、それが過剰な倹約令に繋がったのでは・・・とは私の予想。「水の濁り」云々は田沼時代と定信の政治を比較して皮肉った狂歌から。異学の禁は・・・うん。後寛政の改革と並んで彼を象徴する出来事が「尊号一件」。簡単に言いますと帝の養父に上皇の「名称」を与えてくれとの要求を断固拒絶した事件です。彼の辞任にはこの事件が大きく影響したと言われており、前述の失策もあり、彼はわずか6年で老中を辞任します。(ちなみに田沼意次は10数年)。しかし彼の失脚後も、彼の側近その他「定信派」は依然健在であり、幕末に至るまで彼の政治思想は幕政の基本指針でした。

 

「コネクト」

交わした条約(やくそく)  忘れないよ  目を閉じ  確かめる

押し寄せた列強(やみ)  振り払って  進むよ

 

いつになったら  無くした権利を

我ら自ら  また得ること  出来るの?

溢れだした  不満の影を  何度でも抑えて

この交渉(はなし)  進めていこう

いくどなく  遣わした  使節団は失敗を告げ

江戸以来  悲願を込め  閉ざされた権利開けよう

目覚めた薫は走り出した  列強に媚びるため

鹿鳴館  恥を晒したって  後は

優れた外相  いつも引き継いでくれる  だから怖くない

もう何があっても  くじけない

 

振り返れば  安政以来

気が付けば  四面を敵に包まれていた

何もかもが  歪んだ世界で

唯一驕ってる  米が救いだった

関税も  法権も  分け合えば強まる  和平

この声が  届くのには  きっと奇跡がいるのだろう

かつての屈辱  忘れないよ  目を閉じ確かめる

ノルマントン  倭人  振り払って進むよ

どんなに大きな  国の太子も  忖度は入れないきっと

自ら信じて  裁いて

 

アジアの東で暴れまわって我らは  一等国の地位にたどり着いた

 

我らは権利を取り戻した  己が血と汗で

関税  依然  不平等でも  今は

ロシアも清国も下した実績がある  だから怖くない

もう何があっても  挫けない

 

解説(wiki他ネットの解説サイト参照)

「日米通商修好条約」に代表される江戸時代は安政時代に結ばれた「安政の五か国条約」なる不平等条約の改正までをなどった替え歌。かなり無理があるのはご愛嬌。改正までの道のりは「岩倉使節団鹿鳴館外交→ノルマントン号事件→(国民の条約改正意識上昇)→大津事件治外法権の撤廃→日清・日露戦争関税自主権の獲得=改正完了」となっておりまして、一応順番どおりになるように歌を作りました。だから無理が(以下略)