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新感覚歴史系コミカル小説 阿呆の決議(後編)

分かってはいると思いますがこのシリーズは面白可笑しく書こうとする余り史実性が犠牲になっております。話半分でお読みください。

 

 

新感覚歴史系コミカル小説
阿呆の決議(後編)
 

 

年は明けて仁和四年、つまり888年の四月、前回のあの事件からおおよそ半年ほどが経ちました。基経は前回の一件を有言実行、つまり本当に国政を放り出してしまい、朝廷政府の機能は半停止してしまいました。最早時間を稼ぐことも限界になった帝は、ついに「阿衡」の職を研究させる事にします。しかし生半可な者にやらせても広相の二の舞。そう考えた帝は大物を投入します。

左大臣源融(とおる)。実はかつての帝の実子であり、基経が宇多天皇を擁立しなければ今の帝になってたかもしれないという経歴は期待が持てます。何せ先代の時代、基経と太政大臣の地位を争った程の男です。

左大臣よ。最早実際の事などどうでもよいから、八方丸く収まるように研究成果を出してくれ」
「ははっ。どうかこの融にお任せを」

流石に歴戦の皇族(元)大臣は頼りになる、と帝は安心しました。早速基経を懇切丁寧に、一分の手抜かりも無く呼び寄せると、基経に言いました。

「基経よ、ここにいる左大臣が「阿衡」の職について研究をして、ついに結論を出したそうだ」

「ほほう」と一言だけ言った後、融に目を向ける基経。いや、目を向けるなんて生易しいものでは無く、これは例えるならヘビがカエルを睨むような、圧倒的な実力と権威を背景に弱者を睥睨する物言わぬ恫喝の視線を、基経は向けたのです。

「成程左大臣どのが。かつて私が太政大臣の任についた時は、随分と不満を零していたそうで」
「あ、それは、もう、過ぎた事で」
「でしょうなあ。では禍根無く公平に研究の結果とやらをお話しくだされ」

 自分から話を振っておいて「禍根無く」とは中々いい性格をしております。こんな事を言われて禍根を意識しない人間が果たしているのでしょうか。
「あー、阿衡の職は、別に名誉職という訳ではですね、無くてですね」
「ほほう。では私の侍読が適当な事を言い、これに私がまんまと乗せられ激高してしまったと?」
「あ、いえ、別にそういう訳では」
「困りますなあ。かつての恨みから適当な事を申されては。まるで左大弁どのを庇っているようで」
「滅相もございません。私はただ」
「まあとにかく公平な結論をお聞かせ願いたいものですな」

さて、絶対的権力者から昔の恨みを持ち出された挙句「公平に」と言われたら、誰だって天秤は傾くに決まっていますね。残念ながら左大臣の高みにあるこのお方もそれは例外ではありませんでした。

「名誉職です。この源融、博士たちから確かにそう聞きましてござる」

「と、融!そなた、話が違うでは無いかッ」

「申し訳ございませぬ、君。しかし私の良心が嘘をつくのを拒んだノデス」

そう、それはあながち嘘ではありませんでした。「阿衡」の職を研究した博士たちだって基経は怖い。当たり前の事でした。

「それは良かった。いやあ、流石は左大臣どの。公平な判断あっぱれでございますな」

「公」も「平」も何一つ存在しないこの場でいけしゃあしゃあとこんな事を言ってのけた基経は、再び顔を引き締めて帝に向き直ります。

「と、なると。やはり広相どのには何らかの処罰が必要でしょうなあ。何しろ、帝の詔勅を利用して、私に陰謀を企んだのですから」

「いや、まて基経よ。私は・・・」

「処罰を」

「あ、いや」

「処罰を。宜しいか」

「・・・うむ」

ああ、ここに藤原氏の専横極まれりーーと帝は空を仰ぎますが、残念ながら極みとはそのような生ぬるいものではありませんでした。

「具体的に、どのような処罰をお考えに」

「あ、ああ。罷免させる。罪も無い、いや大事にはならなかったのだから、罷免でもやり過ぎだとは思うが」

 「遠流」

「・・・は?」

「確かに死を賜せるのは哀れ。遠流と言う事で手を打ちましょう」

「いや朕がやり過ぎだと言ったのは罷免で」

「遠流という事で」

「いやだから」

「遠流」

律令下の刑罰において死の次に重い刑「遠流」。まともな交通手段のないこの当時において、僻地に飛ばされることは文字通り人生の終わりを意味しています。

「いやそんな馬鹿な。もし「阿衡」が名誉職であったとして、それを文章に組み込んだ広相の罪が遠流に当たるなど・・・ここは罷免という事で手を打て、な?」

「・・・」

とりあえずこの場は広相を罷免する事で話は片付きました。しかし・・・

「では今日の会議を始める。一同、何か急務は無いか?」

朝臣藤原基経、申し上げたき事が」

「うむ、申せ」

「近頃私の夢に藤原家の氏神たるタケミカヅキ様が現れ、私にこう言うのです。「基経よ、今のままではこの国は終わりだ」と」

「ほほう」

「それは何故かと申しますに、かの奸臣にしかるべき罰が与えられていない事が原因らしいのです。やはり制度の乱れは国の乱れ、帝の海より広い御心は私が何より知ってはいますが、それでも重罪人には厳罰を与えなければならないのは道理。さあ、広相を遠流に」

「・・・」

とまあそんな具合でとにかくしつこく迫ってくるのです。帝も最早半分意地になっていますから、双方中々妥協せずに半年が過ぎてしまいます。最早誰もが「もういいよ・・・」と思っており、それは当事者たちも例外ではありませんでした。

そんな厭戦気分を救ったのは、当時「讃岐守」の一朝臣でした。左大臣でもどうにもならなかった問題を、はたして讃岐守如きがどうにか出来るものなのか。ところがどっこいこの人には出来たのです。後世左大臣源融太政大臣藤原基経、更には宇多天皇より有名になる後の右大臣菅原道真にならば。

道真はその生涯を見ても分かる通り非常に優秀な人物であり、その為に自分が「讃岐守」として讃岐なんぞに行かされたことを屈辱に思っていました。なればこそ、此度の騒動を聞いてあきれたやら怒ったやら。道真は基経に手紙を書きます。

「此度の騒動聞きました。私は讃岐に居ましたから聞くのが遅れましたが。橘広相どのをそこまでお恨みな訳でもございますまい。いいじゃないですか阿衡で。讃岐守より権限を持っていることは確かですよ。それに、これ以上騒動を長引かせる必要は無いでしょう。私は讃岐と言うド田舎で政を行っておりますので影響はございませぬが、天下の京の政が滞ると国の一大事。まあ讃岐の政が滞った所で天下に支障はない訳ですが。ああそうそう、讃岐と言えば・・・」

基経は途中で見るのを止めました。そして、宇多天皇に広相を許すことを伝えます。これで此度の騒動は無事解決。良かった良かった。

え?これで終わりかって?

そりゃあそうですよ。阿呆が言いがかりをつけて始めた騒動、阿呆に終わる位がちょうどいい。

おあとが宜しいようで。

 

 

 

 

 

 

オチが意味不明?大丈夫、書いた本人にも分かっていません。