「織田家 有能ダービー」2
独断と偏見と贔屓目と思い込み、それらをにわか知識で考察してみる「織田家武将ダービー」、第二弾です。
ご存知かかれ柴田さん。現代での知名度は織田家中でも秀吉に次ぐほどかと思われる。ちなみに当時の知名度は彼の一強。
「戦場での活躍」
流石に「かかれ柴田」と名高い勝家なだけあって、戦場での活躍は文句なし。一武将としての能力と、一軍を率いる能力の両方に秀でていたことは、瓶割の逸話や結局信長の存命中は彼が織田家の筆頭武将であったことからも伺えます。
ただ、その名声の割には負け戦も多い。
「領地経営」
経営の難しい越前国を治めていたという事実だけでも、彼の領地経営能力は決して低くは無いことが分かります。ただ卓抜した物があるかと言われると微妙なところ。
「個人としての逸話」
前述の「瓶割」を始め、勇猛な逸話が多い勝家。ただこれ以上に多い秀吉相手に言い負かされる逸話。秀吉が絡んだ時だけ名門の暗君みたいになるのは何故なんでしょう。
「結論」
一武将として使いたい人物。間違っても出世頭の秀才と張り合わせるようなことはしてはいけない。
・佐久間信盛(宿老)
意外に古参の宿老の割には国もちじゃない佐久間さん。わらべ歌四人衆の中でも格落ちな感じがしなくもない。ちなみに、敢えて彼にだけ「宿老」とつけていますが、実際には柴田と丹羽も宿老です。
「戦場での活躍」
流石に古参の武将なだけあって戦数は多い。無論活躍も多いが失敗の方が目立つのは負けた際の彼の態度の問題か。
「領地経営」
領地なし。ただ、直接支配する領地を持たなかっただけで、信長の幕僚として各地の経営をやっていたりもする。
「個人としての逸話」
「退き佐久間」のエピソードよりも信長の勘気を買って蟄居させられたエピソードの方が遥かに有名な時点でこの分野はお察し。失敗した時のリカバリーが下手な人は決して成功しないという好例かもしれない。
「結論」
柴田勝家の下で城代とかやってたらそこそこ成功してたんじゃないでしょうか。
・丹羽長秀(若狭後瀬山城主)
敢えてこの人が一番好きだという人は少ないけど、この人を嫌いという人はいない、そんな感じの人物。
「戦場での活躍」
あまり勇猛な印象の無い彼ですが、その武功は秀吉や勝家と比べてもそん色ないほど。派手な活躍こそ少ないですが、織田家の大戦の勝利の率役者といっても良いでしょう。
「領地経営」
自国である若狭国は勿論、安土城の普請をしたり、畿内の行政を担当したりと、織田家の政治の中心人物と言っても過言でない程。
「個人としての逸話」
時に勇猛、時に冷静、時に忠孝、時に敏腕と、彼には数多くの逸話が存在します。最も有名な逸話は恐らく信長死後のものであるため除外しますが、それでも彼が織田家の大功臣であったことを証明するのになんら困ることはありません。
「結論」
現状トップ候補。これ殆ど調べて書いたんですが、想像以上の有能さに私自身が驚いてます。
忍びの末裔だったり鉄砲の名手だったり教養人だったり猛将だったりと、ミーハー、玄人問わず好かれるお方。
「戦場での活躍」
鉄砲隊を率いての武功を中心に、武田勝頼を天目山にて自害させたり、本願寺攻めの際にも著しい武功を見せたりと、その活躍は質、量共に文句なしと言えるでしょう。
「領地経営」
武田家滅亡後、その旧領を預かった一益。越前の例を見ても明らかなように(越前は坊主の存在もあってまた格別なんですが)、名門の跡地というのは一般に経営が困難。それを預かり、北に上杉、東に北条と渡り合えたのは、彼の実力と言えるでしょう。
「個人での逸話」
彼の逸話の特徴は、人から好感を以て見られる逸話が多いことにあります。例えば、信濃国を授かる際に「茶器の方が良い」と信長相手に言ってのけたようなことも、彼に一種の愛嬌と、それ以上に大器を感じるでしょう。なお、くどいようですが信長死後は対象外です。
「結論」
麒麟児の名に恥じない経歴。「進むも退くも滝川」は決して誇称ではありません。
何というか、丹羽さんが想像の三倍くらい有能なせいで企画倒れしそうな気がする本企画「織田家有能ダービー」。
次回は・・・するのかなあ。