歴史系ジョークブログ(仮)

名前のまま歴史系ジョークを主に掲載するブログ。気まぐれ更新。

アメリカンジョークin日本史6

原点回帰

アメリカンジョークin日本史6

 

承久の乱以降没落の一途をたどる朝廷に再び権威をもたらす為、後醍醐天皇は密かに倒幕計画を企んでいた。そうした中、幕府の京都監視施設六波羅探題から使者が。一同に緊張が走るなか、後醍醐天皇は動揺を一切見せないで使者を迎え、陰謀を企んでいることなどおくびにも出さないまま会話を終えた。しかし帰る間際に使者が言う。

「君、実は私は君の御心が読めるのです」

「適当な事を言うでない」

「いえ、本当でございます。君は朝臣を全員信頼していらっしゃいますね?」

 

幕末、京都の大通りで大男が声を張り上げていた。

「50人の血を吸った名刀、50人の血を吸った歴戦の名刀はいらんかねェ!」

それを聞いたとある浪人、大男に声をかけ、その刀を購入しようとした。二人は交渉の為に裏路地に行き、しばらくして大男が一人で出てきた。再び声を張り上げて言う。

「51人の血を吸った名刀、51人の血を吸った歴戦の名刀はいらんかねェ!」

 

天下を取った秀吉は、膨大な量の文書を作成しなければならず、ついに行政官の人手が足りなくなった。困り果てた秀吉は、苦肉の策として生来武勇の徒である福島正則に文書を作らせた。そして出来上がった文書を見てこう言った。

「正則、この「だいご寺」というのはどうした事じゃ」

「申し訳ございません、不勉強なもので。漢字が分からなかったのです」

「ふむ。全くしょうがないのう。我ら豊家はこれから天下の仕置きを司らなければならぬのだ。お主の様な教養不足ではまずいぞえ」

そういって秀吉は自ら文書を書き直した。

「大ご寺」

 

1932年、上海での戦いにおいて三人の兵士が任務のさなか玉砕した。上官は彼らを悼み「肉弾三勇士」と称し国内に宣伝した。その成果は上官の目論見を遥かに越え、新聞は彼らを「軍神」と崇め、彼らの玉砕を描いた映画がいくつも作られた。そうした中、上官の元に一人の兵士がやってきた。

「上官、私です。あの時上海で・・・」

一発の銃声が響いた。

 

戦に敗れた可児吉長が馬に乗って退却していると、馬を失ったらしい主君羽柴秀次が走って逃げているのを見つけた。見かねた吉長は馬から下りて秀次に問う。

「殿、このままでは逃げきれませぬぞ」

秀次はしばらく黙っていたが、やがて素早く吉長の馬に乗って言った。

「お主がな」

 

足利義満は有力守護大名である土岐康行に対してこう言った。

「お主の様な大名が10人程いればなあ」

これを聞いた康行は「意外ですな」と笑い、

「公方様は私の様な力の強い大名を苦々しく見ているかと思いました」

義満は嘆息して答えた。

「10人ほどであればよいのだが。残念な事に20人はいるのだ」